地唄舞のお稽古、いつもいつも発見があり、楽しいです。
そのたび、師匠の偉大さにふれて、奥が深い舞の世界をますます知りたくなります。
鶴亀を通しで何度もお稽古していただいているのですが、
足の使い方、全体をゆったりとじんわりと舞うこと、
扇の持ち方、そして構え。
細かいことがもちろんたくさんですが、一つ一つを師匠の言う通りにしながら、
お稽古している中で、
今回、初めて体験した感覚がありました。
常々、振りを一つ一つしている、という感じと
舞そのものに自分がなっている、というのの違いがあるのだろうなと
うすぼんやりと感じていましたが、
今回、お稽古中に「自分」という感覚がまるでなくなって
振りの順番などもまるで頭で考えておらず、
ただただ、目の前の師匠の舞と鏡のように一緒になっている瞬間がありました。
自分の扇と師匠の扇だけが動いている、とも言えるような。
うまく言葉では言えませんが、すっごく集中しているときに
ひょっとしたら、そういう舞ができる瞬間があるのかもしれません。
忘れられない体験でした。
以前はまっていた格闘技「ジークンドー」の始祖、ブルースリーの
考えるな、感じろの境地に近いのか?
ジークンドーの練習中も、木人でひとつひとつの型をやっているときに
順番を覚えているというよりも、力をいれるところ、力を抜くところの体の感覚が
すべて決まると、自然とその流れの動きになって気持ちよかったのを思い出しました。
武術と舞はやはり似ているなー、おもしろいなーと感じる今日このごろです。
そんなお稽古の着姿はこちら。
暖かい紬。でも、お稽古の時には下着を工夫しないと
結城紬は暑すぎた!!
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